滋賀男声合唱団

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「雪と花火」その2
 
 「雪と花火」
 
 男声合唱組曲「雪と花火」は昭和32年作曲、多田武彦氏3作目の作品で、同年6月に同志社大学グリークラブにより初演されました。詩の題材として大正2年発表の、北原白秋3作目の詩集「東京景物詩及其他」から4篇の詩が取上げられています。「東京景物詩及其他」は大正5年、第3版刊行の際に新に詩1章12編が追加され「雪と花火」と改題されました。
 官能的象徴詩としての作風を確立していた彼は、近代都市として急激に変貌しつつある明治40年代の東京の情景を軽やかに歌いつつ、隣家の人妻「俊子」との道ならぬ恋に苦悩する姿を赤裸々に歌っています。まさに、芸術の自由と享楽の権利を謳歌した作品群が収められていると言えます。
作曲者が歌集の中から選んだ詩文詳細につきましては、ここでは割愛させて頂きますが、少し詩と曲から感じられる感想について記述してみたいと思います。
 
「片恋」
かなう可能性の少ない片思いの恋。男女の出会いの機会が少なかった当時としては、現代の片思い以上の深い情感が感じられます。
「かはたれ」(彼は誰)は「たそがれ」(誰そ彼)と同じような意味で、昼と夜の入れ替わる薄暗い時を表しますが、江戸時代以降「たそがれ」は(黄昏)という漢字があてられ、夕方を指す言葉として定着してきたため「かはたれ」は明け方を指す言葉として用いられています。
テナー2声部による4度進行の掛け合いから始まるこの曲には、微妙な明暗と色彩感が感じられ、あかしやの葉の散るさまと相手の吐息によって、次第に別れが予感されて来ます。
 
「彼岸花」
この詩の意味するところは意味深で、鑑賞する人によって多様な受け止め方があると思われます。とても妖艶な女性の魅力に、「棄てたら殺す」という愛情表現までが何か本気めいてきて、空恐ろしく感じてくる男の心情の表現でしょうか。多田武彦はこの後半部分を作曲中、何かとてもゾクゾクした気持ちだったと聞き及びます。
 
「芥子の葉」
  「芥子(けし)の葉」は世間の例えと捉えるとこの詩は理解しやすいでしょう。恋の結末は世間からの非難と名声の失墜。「人が恋に身を細られるのはその人の問題で、世間は元来無関係なはずなのに」そう割り切ろうとしているのに、割り切れない自分がいる事への嘆きなのでしょうか。
 
「花火」東京夜曲の挿絵。船遊びするアベック。
詩、メロディー共に、隅田川の両国橋に掛る花火の抒情がとても美しく表現されていると思います。この花火の情景は恋する人との情愛の極みでであるともに、手を伸ばしても手に入れられない遠い夢の象徴でしょうか。散りかかり、消えかかる花火は自分の恋の結末を予感させるようで、美しい中にも儚さを感じさせる北原白秋ならではの詩の世界と、多田武彦の流れる様なメロディーとハーモニーに何か宗教曲的な深みさえ感じられます。                                        (北澤 澄男)
 
参考文献
 
  「北原白秋」 三木 卓 著  筑摩書房
  「白秋全集」         岩波書店
  「日本の詩歌・北原白秋」   中央公論社
Web
  Wikipedia(北原白秋)
  北原白秋記念館 ほか
 
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